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人を判断するときの基準(賢さ)

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最初に

「人を〇〇で判断してはいけない」

〇〇には様々な言葉が入る。

学校だったりテレビだったり本だったりで、こういうフレーズを見かけることがある。

人という生き物を同じ人という生き物が判断する、甲乙をつけるという行為は僕から見ると非常に不思議な話である。

同じ世界線にいる同種に対して、良いだとか悪いだとか言う権利を誰が持っているんだろう。

もし持っていたとして、その権利は何からもらったものなのだろう。


そんなことを考えつつも、他者と共に生きる「社会」で生きてるのでどうしても他人を判断しなくてはいけなくなる。

しかも頻繁に。

「人は基準がないと判断ができない」というのが持論である。

今後60年、70年と生きていく上で、恐らく数えるのもうんざりするほど人を判断していくことになるだろう。

17年と6ヶ月生きてきて、ようやくひとつの基準を言語化できたので、文章として残しておく。

賢さ

人が人を判断する場面は非常に様々である。

その中でも、「賢さ」というのは非常に重要なのではないかと僕は考えた。

この「賢さ」というのは人の何を指すのか。

僕の中の「賢さ」を上手く言語化したものがすでにあった。

1を聞いて10を知る

自分の中で「賢さ」を洗練していく上で、この言葉がベストだと考えた。


いかに抽象的に物事を理解し、いかに具体的に理解したことを実現できるか。

僕の考える「賢さ」である。

プログラミングで例えてみる。

初めてライブラリを使うという人がいたとする。

その人はライブラリAが使いたいらしい。

だから僕は説明として、ライブラリAの使い方と困ったときはここを見れば良いと伝える。

もし、その人がその後ライブラリBやライブラリCを使えるようになったら、その人は僕の中では「賢い人」ということになる。


僕はライブラリAに関することしか教えていない。

しかし、その人は僕から聞いた説明を「ライブラリに関すること」と抽象的に理解することによって、「ライブラリB」や「ライブラリC」に利用することができたのだ。

前提が少なすぎてかなり無理矢理な例ではあったが、僕が考えていることは伝わったと思う。

こんなことを言ってる時点で、僕の判断基準では「僕は賢くない人」と判断されてしまう。

なぜ「賢さ」なのか

さっき僕は『その中でも、「賢さ」というのは非常に重要なのではないかと僕は考えた。』と書いた。

なぜ僕が「賢さ」に重要性を見出したのか。

それは、僕たちが可能な限りスムーズに意思疎通をこなすためである。

他人と作業を共にするとき、必ずコミュニケーションを行う必要がある。

今後何をしていく予定なのか、すでに何をし終えたのか、共有しなくては不都合なことばかり起こってしまう。

しかしながら、僕たちがコミュニケーションという行為に対して100%自分の能力を注げるとは限らない。

つまり自分と相手の間で流れる情報にノイズが入ってしまう。

そのノイズを発信側も受信側も補正する能力が僕の考える「賢さ」である。

だから僕は社会で生きる上で、他人を判断する基準として「賢さ」というものが重要だと考えた。

最後に

厚労省が発表した平成29年簡易生命表によると、日本人男性の平均寿命は81歳、同じく女性は87歳という結果が出ている。

人生が大体80年と仮定して、今回述べた「賢さ」は最初の17年だけで考えたことである。

限られた「社会」でしか経験のない(しかもあまり上手く渡れたとは言えない)若造が考えたことである。

そんな「若い考え」ではあるが、これを気に少しでも自分の判断基準というのを、一歩ひいた視点で再確認して欲しいと思う。