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転学届を提出してきた

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2019/07/23、在籍校へ転学届を提出してきました。不具合がなければ、9月1日から次の高校であるN高に籍を置くことになります。

とりあえず今の気持ちを吐き出す感じでこの記事を書きました。本当に吐き出しなので、ところどころ話がずれていたり、急に吹っ飛んだことを書いてるかもしれません。


学校で生活をすることが苦である、ということに焦点を当てると小学校時代まで遡るような気がします。1年生頃からお腹が痛いと言って欠席することがちょこちょこありました。3年生・4年生にもなると朝起きてはお腹痛い、頭痛いと言い、一日学校へ行っては一日休むみたいな生活をしていたような気がします。

不思議なことに中学ではそんなことは一切なく、1年生では年間皆勤賞、2年生も片手で数える程度の欠席数でした(3年生は受験勉強が始まったので後半ボロボロでしたが…)。

中学は結構楽しく過ごせたので、高校でも大丈夫だろう。そんな感じで京都府立のある全日制普通科の高校へ進学しました。

最初の2、3か月はなにごともなかったような気がします。恐らく新しい環境という緊張でなんとか耐えていたのでしょう。しかし、7月辺りだったでしょうか、徐々に保健室へ行くことが増えていきました。10月か11月以降は5時間目以降早退がほぼ当たり前のような状態でした。

授業を受けることが苦痛でしかありませんでした。周りからいじめられたとか、先生から嫌われていたとかそういうことではなく、授業中に先生の話を聞き続けると言う行為が自分にとっては生き地獄のように辛いことでした。授業中だるいとかなら普通の高校生の領域ではありますが、だるさは当然のこと、異常なほど下半身(とくに太ももから腰にかけて)に違和感を覚えるようになりました。症状を形容するのが非常に難しいですが、強いて言うならとてもムズムズするといった感じです。身体の中でムカデやミミズのような細長い虫が動いている、そんな感じです。そんぐらい我慢できないものかと思われるかもしれませんが、酷いときは人の話している内容が聞き取れないほど集中力が削がれることもありました。

なんとか踏ん張り、高校1年生は修了できました。ある教科をあと1回欠席すると成績表に1がつき、進級不可になるという非常に危なっかしいラインではありましたが、2年生にコマを進めることができました。学年がひとつ上がったのだから、心機一転頑張ろう。そう思っていました。

そんな思いも虚しく、かなり早い時期から同じような症状に悩まされました。幸い(?)、8月からフィンランドに10か月ほど留学に行くことが決まっていたので、夏休みに入るまでの我慢やと思いながらなんとか耐え続けました。6月あたりは授業を受けるためというよりかは、ひたすら耐久をするためにだけに学校に通っていたような気がします。

そんな学校生活を過ごしているうちに、自然とこの学校を辞めようという考えが湧いてきました。座学の授業の数だけ生き地獄を味わうわけですから、ある意味当然といえば当然のような気がします。辞めたいと言う思いはありつつも、今退学すれば留学が取り消しになると思い、とりあえず帰ったら即辞めようと思いました。

フィンランドでも座学の授業はいくつか取っていましたが、留学生ということで、授業中も好きなことをやりなさいと言われ授業中はそこまで苦痛ではありませんでした。少なくとも日本の高校であったムズムズした感覚はほとんど起こりませんでした。

幸いなことに、フィンランドでは時間が大量にあり、色々なことを考えることができました。今の自分のこと、帰国後の進路のこと、社会に出てからのキャリアのこと。いろいろ考えた結果、今の自分には最低限高校を卒業しなくてはいけないことが発覚しました(推薦で大学に行きたかったので)。とりあえず今いる学校で様子を見てみて、無理だったら通信制の高校に行こう。自分の中でその考えが固まりました。

06/22、帰国後はじめて授業に参加しました。慣れの関係もあるかもしれませんが、ひたすら苦痛でした。翌々週からノートパソコンで授業ノートを取ってよいという特例が出たので、少しは軽減されましたが、それでも授業を受けることが苦痛でした。2週間ほどは毎日通うことができました。しかし、3週間目あたりから急に体調不良が多発し、1・2年生の頃でさえ避けていた1日丸々欠席することが出てきました。

やっぱり今の高校では無理だな、という結論にたどり着くにはそれほど長くかかりませんでした。最後は母に背中を押されたこともあり、帰国から1か月も経っていない 07/18、保健室の先生と担任の先生に転学の話を切り出しました。どの先生も僕の選択を否定すること無く聞いてくださりました。念の為言っておくと僕はこの高校が大好きです。先生も生徒もみんな個性豊かで、休み時間とかは普通に楽しかったです。進学や勉学に関しての先生からのサポートもあつく、これほどコスパの良い高校はないだろうと思うぐらいです。あくまで僕がしんどかったのは日本の一般的な授業スタイルであり、この先生がする授業だからというものでは一切ありません。むしろここにいる先生だからできるおもしろい授業に助けられたぐらいです。だから、この結論を導き出し、先生へ伝える際はただただ悔しかったです。こんなにいい学校なのに、こんなに最高の先生がいっぱいいらっしゃるのに、僕は耐えられなかった。自分の身体を恨むことはありませんでしたが、行き場のない悔しさがモヤモヤと残っています。

先生方に転学したいと打ち明けてからはびっくりするぐらいスムーズにことが動きました。まず転学希望を伝えたその日の夜に担任の先生が僕の両親に確認の電話をしてくれました。親とはもともと(学校を辞めたいということ自体は留学前から)話していた内容なので、とくにこのとき親子間でいざこざが〜とかはありませんでした。N高へ転学するときにいくつか不安な点があったので、たまたまその週末にあった学校説明会と個別面談に父と行き、不安要素をすべて潰してからほんちゃんの転学届の用紙を学校へ提出しました。転学の話をしてから用紙を出した今日まで、担任の先生の口から引き止める言葉は一切ありませんでした。転学後に単位や在学期間がどう換算されるかなどの話をすることはありましたが、それ以外のことはありませんでした。本当に幸せなことです。

Web での出願を済ませ、今は学校に書いてもらう書類が完成するのを待つだけの状態です。

自分のこの決断が正しいものか間違っているのか、当然まだわかりません。もしかしたら今後一生この決断を恨むかもしれないし、逆にこの決断がなければ自分がなかったと思うかもしれません。結果に関わることなのに、その結果がまだわからない。恐らく何年も先にならないとわからない。18年しか生きていない自分にとって、恐怖でしかありません。周りは一切反対しなかったけど、本当にこれで良かったのか。先生に転学の話をしたあとでも思うことがありました。わからんことはどうあがいてもわからんとはわかりつつもやはり気になってしまうというか、恐ろしさを感じずにはいられませんでした。

ただ、今は少し自信があります。保健室の先生と転学に関して喋っていたとき、自分でこれだけ大きな決断ができてあんたは力があると言われました。転学届を出した帰り、尊敬する英語の先生とばったり会い、転学の話をして「あなたは行動力の人やと思ってたけど、すごいな」と言われました。言われたとき、自分はちゃんと1人の人間としてできることをやったのかなと思えました。

今はまだはじまったばかりで不安がいっぱいですが、通信制というまったく新しい環境で自分をさらに磨いていこうと思います。

脈略がない文章でしたが、最後までお読みいただきありがとうございました。これからもがんばります。